考察

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 概 情 生 感 変 他 自 思 行 認 概

 念 報 存 情 化   我 考 動 識 念

私が物事を考える過程の思考、考察です。

なので正しい訳でも誰か考えを否定するものではありません。

今回は思考の向きについて考察してみた

単純にプラス思考とマイナス思考でいきます

皆がこの単語にどういうイメージを持っているかは分かりませんが私はこの二つの思考状態は基本的に同じだと思っています

思考→(+or-)になる最初の分岐点は「視点」による向きの違いだと考える

だからこの二つの思考で負う消費量は殆ど同じである

では何故視点の向きなのか

考えるまでの道は1つだがそこから分かれていて 各々着地地点が別に設定されているからである

その地点が自分にとってマイナスなのかプラスなのか 他者から見てプラスなのかマイナスなのか

なのでこの時点で誰から見た思考のプラス マイナス かをちゃんと設定しなければいけない

ここをあやふやにするといつまでも迷子状態に陥るでしょう

ここでは視点を自分に合わせて分解してみようと思います

ではまず「マイナス思考」

一般的に悪いイメージが先行したり 連鎖的に負の方向に行ってしまう

事によりやる気が無くなく 体調を崩す 思考の放棄等々

思い当たる事があるでしょう

では何故これらが負担になっている事として認識しているのか 分解していきます

まず思考 どの→未来の それから→イメージ どのように→未来からの引き算 現在からの足し算

どうして→現在まで生きた経験と今の知識 なんで→より現実的に考えられるから

これらは考える事による思考ですね 思って考える訳ですから

では何故マイナスに舵をとるか 理由を二つに分けましょう 大きく内的か外的要因か

確率 常識 能力不足 これらを外的要因として考えた場合

内的要因は何でしょうか 考えて見てください

私は 経験 知識による分かりやすい道筋 分かりやすさ 情報の削減と追加 楽(思考の放棄)ここら辺だと思います

分かりやすい道筋

この分かりやすさっというのが重要で一番見えやすい「未来の姿」現状の形でいつものような生活をしていれば手に入る未来の姿

分かりやすさ

自分のイメージに直結しやすい

情報の削減と追加

未知なるモノには削減 知っているモノには追加 

例えば 歩く (何処へ歩くかは未知なるモノ だらか歩かない為の情報を入れる 石がありコケてケガをする)

この例えを内的要因に入れると

歩く先は? 1未来の設定をしないと行けない 数多在るでしょう 2選ばないと行けない 3何故選んだのかも考えないと

4目的地に行くための道は 5天気は 6手段は 7疲れてしまうのでは 8時間もかかるのでは 9途中事故るかも

っと色々考えないと行けない

これは面倒くさい ではこれらを削減しよう

歩かないを選択すればいい

1歩く先を考える必要がない 2歩けなくなる方法を考える(方法は一個でよい 石があってこけた)3原因を自分の特性と合わせる(のろまで身体も弱い)

4だから歩けない

かなり考える事が減りましたね 楽ですね 2と3さえ合えば説得力 自分に言い聞かせる材料としては十分でしょう

ただこれだけだと「楽」で終わってしまうんですよね

マイナス思考が楽という意味ではないので ここから身体について考えていきます

断言すると身体にもダメージは来ます 思考するだけで痛みを伴います

経験は知識です 又 知識も経験です しかしズレは有ります

殴られたら痛い 実際に殴られた人は痛いと分かるでしょう 殴られていない人でも似たような経験から痛む事は分かるでしょう

なので分かるんですよ 痛みが痛みの強さは別としても

痛みを考える するとその時の事を記憶から巻き戻し再生する それが今回思考したときの痛みの基準となる 

過度な痛みは不快になりますよね

この時よく思い出してください

痛みは感覚です 感覚から得た結果 それが痛いと思った訳です

腕を叩かれた痛みは腕からの情報です 叩かれた部位が痛い訳です

記憶を巻き戻して再生する行為に身体的痛みも含まれています それは弱いです言わば幻痛なのですから 記憶が薄れるのと同じです

ただこれに気が付くか否か ここは大きいと思います

さっきの「歩かない」の例えを使うと1~4これらの中で情報が多ければ多い程説得力が上がるのが2と3

謂わば負の経験 負の感情の情報増加 すればその分身体的な痛みも増えていく訳です

結果マイナス思考は 未来を考える上で未来では無い状態 停滞 もしくはリプレイ状態に陥る可能性が高い訳です

分からない未来を分かっている未来に近づける訳ですから そこに能力を注ぐ事 その過程で多く出力する情報が負 痛みになる可能性が高い訳です

思考回数は経験に関係し いつか枯渇する 最大量が決まっている状態 回数増やせばそれだけ考える事が難しくなるし停止する

先細りする道 だから最終的に疲れるし 道の前後も答えは同じなのでそこから歩く必要もなくなってしまう

これがマイナス思考をすることによる疲れ

次に「プラス思考」

未来を先行して良い方向に進もうとするか 現在を考え今の行動の最適解を出すか

この二種類が出で来ると思います

前者は未来に行きたい道の頂点を決める 後者は頂点は決めずに分岐点の中で自分に良い方向に舵を切っていく方法

基本的には同じですね 自分の基準を持った上で分からない事について考える事に消費している

そしてこれが何故マイナス思考をしている時と同じ負担がかかっているかと言うと

試行回数に制限が無い事が一番大きい

例の「歩く」私は1~9個例として出しましたが実際はもっと多い

そして関係が関係を生み頭打ちが無い事 考えれば考えるだけ「歩く」以外の事も連動して考えが広がる事

用は答えが無い これが疲れるポイント 自分で終わりを設定しないと終われないのですから

身体的な経験 知識も巻き戻し再生する記憶は痛みのような負の感情以外にも 幸福や達成感などの正の感情も含まれてきます

なのでマイナス思考の時のような痛みのみの増加は中々ならないでしょう

だから身体的ダメージは少ないのです

未知なる経験には~かもしれないっと言う情報 じゃないかなぁっという感覚しか味わえませんから

痛みの再生は難しい訳ですし 過去と今では違う事が解っているので痛みの感覚も時々によって変わる事を分かっているし理解している

だから理想の自分になる過程の自分も今の自分と比べれば成長しているのだから 今の情報は然程重要ではない となる

まとめると

マイナス思考の負担は精神は小 身体は大

 プラス思考の負担は精神は大 身体は小 と考えられる

更に言うのであるならば

身体と内臓でも別ける事が望ましい

身体のダメージは見て分かるが 内臓のダメージは気が付きにくいし疲れが後からくる場合がある

内臓は見えないし機能を一般人がちゃんと理解しているかと言われれば先ずNOである

例えば集中力 無理して集中力を高める 持続させようとすると先ず体力が削られるでしょう だから体力と相談して休む選択しが出で来る

しかし内臓系が身体の無理にどこまで負担がかかっているかは体調が悪くならないと分からない訳です

数日後一気に体調が悪くなる体験はないでしょうか

私は有ります

車の運転をすると集中します 事故 知らない道での間違え 眠気 これらは全て事故への恐怖です

長距離になれば事故への恐怖の時間も多くなる訳です だからスピードを上げ時間短縮に行動が行きます

しかしこれは事故率を上げる訳です でも上げる訳は 考えられる中で一番体力が持たないと判断したからです

運転している時点で疲れる最低値は距離が短くとも長くとも私の中では同じである

スピードが遅くとも速くとも時間に換算した時の集中力は同じである

なら如何に集中力を出した時間の中で距離を稼ぐかに重きをおいた体力の使い方をしている運転方法なのです

リスクが大きい分集中力の負担も大きい

だから日常の運転でも集中しすぎて車で運転した だけで距離関係なく疲れる事になってしまうわけですね

実は集中力の代償に体力を使う以外にも他に内臓系にも相当ダメージ入っていたんですけども 運転中は分かりません

このように分かりにくい

そしてもう1つ 時間について

皆さんは1日をどう位置付けしていますか 0時ですか TVのように27時とかですか 朝ですか

私は取り合えず寝たらリセットです

この1日の考え方でもやはり変わってきてしまう

今回の考察では大きく四つの視点から捉えています

精神 身体 脳 内臓 そしてこの4つの時間が一律であるのかどうか ここを少し考えて頂きたい

どの時点でリセットしているのか どこまでを1日と捉えているのか

これらを4つの時計を設定しておくと今使える体力量と回復する時間が解ってくるわけです

この4つの時間が一律で同じってことはないと思っています

それぞれのタイミングも違うはずです 同じだと思っているから朝起きた時 怠いやら疲れが取れないと思ってしまう

そう思ってしまう事が負担であるので あっまだ一日も経ってないし疲れているのは当たり前だなっと思えるようになる

疲れてるならこれ以上動けば疲れるのは当たり前

疲れてるなら休むのは当たり前の事

日常の中でこの「当たり前」を増やしていくことは結果マイナス思考に傾いてしまった時

過度な情報の増加を抑えられる事に繋がるのではないだろうか

当たり前という思考のショートカットは身体の痛みも当たり前として処理してくれるのだから

 

1  第一に考えたのが「善」なるもの

これは自分が誰に言われようが曲げない、要は自分の最も変えられない考え。悪く言えば「枷」でしょうか

ここが解れば自分が何をしてはいけないのか、逆に言えば何がしたいのかがわかると思うのです。

 第二に「太極」陰と陽ですね。この言葉を形にするならば、やはり「円」になりましょう。形を成せばそこに終始は無い

のですから。この円は小さく成ればなる程、陰陽、表裏の線引きが難しくなり、「点」と言うどちらとも言えぬ「真」となると考えました。

私は「一を聞いて十を知る」とは逆に十を知ったならば一が見える。一が理解できたならば十が分かる。

要は凡人な訳ですが、1~9を知らなければ到底11~19なんて理解できないです。1+1が2なのは 何故か? 何が2か、個数か?面積か?2の意味が分からなければ計算は出来ても理解は出来ていないでしょう。

 この考えが前提にあるので私は一・十を特別視しています

アラビア数字の「1」と漢数字の「一」異文化との融合又は、天地左右の区切りっとしての「十」の配置。回して描くは円の道「〇」零ですね。こちらを踏まえて

この文字分解から面白い事を発見した

補足として この「考察」では人を基準とするよりも 命を基準に考えている。

人←動物←生物←生←命 事の詰まり「命」が最低限の自己の誕生だとしている

では今、生物の枠で考えられる生き物と考えた時、私の中ではやはり、「星」になった。

人であれば男女の性行為により子供が誕生し、子孫を残せる。そして大陸を移動し種を残すために動く物となり

植物は受粉して種を残す、動かずとも自然や動物に食べられる事で場所を移動し、その大地に根を生やし植する物となった

 では星はと考えると種の保存は隕石ではないか?と考える 欠片は情報を保持しているし、他の星にぶつかればその一部となる点から種の保存として成立していると思う

動物的保存と植物的保存をの元のような感じだと思う

っとまぁ長い前置きだが、要は種の保存が考えの第一にくる部分であると言うこと。

 これらを頭の隅っこに置いといて文字を分解していくと『間』の文字が自分の中では一番考えられていると思った

では『間』とは?建物の柱と柱の間

人が人間と言われるには他者から見て2人居なければならない つまり最低3人居ないと成立しない

人と人の関係の世界、そして種を残すのであれば男女になる。それが『門』

太陽が無ければ人は生きられないからこそ 子供は太陽や宝と比喩された。太陽は=日とも略させる。子供『日』

男と女(門)の間に生まれたのが子供(日)それが『間』

子供先ず男女に分けられる。そして成長する、なので日の足を一本伸ばす。すると門の片方になる

ここまで考えられると派生が色々考えられる。

お互いを支えれば『甲』 お互い知恵を出し合い発見すれば『用』ほかにも色々あるが

『月』について 太陽と対となる月 子供の対は老人 なぜ老人かと思うのは、痴呆によるもの、身体の自由さ免疫力の衰え等 状態によるが支えが必要となってくる点 それと子供もそうだが男女の区別が難しくなる

年月を経て成長し一人で立てるようになったが安定を失った形 『月』

 これらは日本だからっという面が強いが、漢字から色んな考えがとって見えた

これら思考をまとめて自分で文字を作成

母音と子音の構成 ここは・・・ご愛敬。先ず、縦文字、筆文字、流れを重視しています。

読ませる文字ではないですね。

霞維字 霞んで見えるような形を維持する意味で付けました。

後に説明しますが、あ行は十ノ意(一番上にある10の言葉)から他はそれに伴い文字を崩して作成しています。

使える人は是非使って下さい。パスワード的な読まれては不味い文とかで