[優しさ]
[優しさ]
私にとって優しさとは大きく二つに分けられる
*一つは自己依存による優しさ
これは自分の意志を優先し その過程で他者に優しくする行為
未来に標準を当てたもの
これを時計回りで正の向きとす
*二つ目は他者依存による優しさ
これは他人が決めた枠の中で集団を意志した優しさ
現状維持に標準を当てたもの
これを反時計回りの負の向きとす
この向きにこそ「優しさ」の本質が隠されている
では優しさとは詰まるところ何であるか?
語弊を招く言い方しか思いつかなかったので敢えて言うならば「楽をする事」ではないだろうか
正と負の両方の性質が交わる交差点が「楽」である
他者を先導する 教える 手伝う 代わりにやる 合わせる 気遣う
どうだろうか?これらは今に向けた楽と未来に向けた楽の投資ではないだろうか
何かを楽する為にその行いは実行されると思っている
これを前提に更に分解していこう
正の向きの人は現状維持は未来尻つぼみして衰退することを知っている
だからこそ人の上に立つ
ではどの位置にいるか?
ここで新しく前後で分けて考えてみよう
人の前に立ち先導するものは 責任と行動・熱意で皆を動かす
人の後ろで先導する者は 監視と規律で・秩序で皆を動かす
それぞれの位置によって優しさは変わってしまうが背負う責任は同じである
もしこの責任を捨て歩む事をやめ保身に走った場合 現状維持に方向が傾き衰退する
これが 正の向きの前後
負の向きは現状維持の心地よさを知っている
むやみに不安と戦う必要がないのだから
集団の輪の中では前後がないので隣 左右で考えてみよう
私にとって寄り添う相手か 行動の邪魔になる存在か
要は安心感の確保 自分にとっての左右は隣にとっては逆になる
自分の存在は鏡のように映し出される だからこそ他者に優しくする事は自分にとっても優しくなる事になる
正の前後 負の左右 これらは均等ならバランスがとれているかと言えば違うと断言できる
正が少なく負が多いアンバランスこそがバランスが取れている状態である
例えば 羊飼いと羊の関係
扱えるだけの羊と共に犬と人が移動する
放牧は見える範囲での自由
移動時 群れから離れ孤立しようとすれば群れに戻し
逸れれば探し
敵が襲ってくれば群れを守るために前に立つ
人が指示し犬が実行
その状況状況によって位置を変える事こそ「優しさ」本質だと私は思う
優しさとは他人がいなければ成立しない
その物差しとは一定のものなのでは決してない
厳しい優しさとは未来の事に重きを置き 癒しの優しさは現状の事に重きを置いているに過ぎないのだ
ならばこそ 「優しさ」とは互いに思いやる気持ちがなければならない
そして勘違いを起こさせないといけないものである
互いに楽を共有するために
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